日本会議の機関誌『日本の息吹』2月号に、過去の女性天皇が皇祖神の“祭り主”としての資格を
欠いていたかのような、非礼·不敬な言説を見かけた。
「皇祖の祭り主は皇統に属する男系の男子でなければならない」と(新田均氏)。
しかし、次に掲げるような歴史上の事実をどう見るのか。
皇祖神·天照大神を祀る最高の聖地は、改めて言う迄もなく、伊勢の神宮だ。その神宮で最大の祭典は、20年に一度の「式年遷宮(しきねんせんぐう)」に他ならない。
その式年遷宮が実際に行われるようになったのは何時か。
女性天皇である持統天皇の時代だった(田中卓氏『伊勢神宮の創祀と発展』)。その式年遷宮は戦国時代から120年余りの中断を挟みながら、見事に再興され、現代にまで受け継がれている。
ちなみに、直近の第62回式年遷宮は平成25年に行われた。
このように現代まで大切に守り抜かれて来た伊勢神宮最大の祭典、式年遷宮の起源が女性天皇の持統天皇の時代だった事実をどう理解すればよいのか。持統天皇以降、女性天皇として式年遷宮を行われた実例は、元明天皇·称徳天皇·後桜町天皇の3代において確認できる。
又、神宮の年間の恒例祭祀中、最も重要なのは神嘗祭(かんなめさい)だ。その神嘗祭には古代以来、天皇が勅使を差遣(さけん)されて幣帛(へいはく)を奉られる。これも一時の中断を挟みながら復興し、現代に受け継がれている。その起源も女性天皇の元正天皇の時代だった(『続日本紀』『類聚国史』『政事要略』など)。
特に元正天皇の場合は、当時の『大宝令』に規定があった「女帝の子」(継嗣令)として即位されていた。従って、法制上は皇統に属する「女系の女子」という位置付けになる。
これらの他、史料上の制約がある中でも、推古天皇·皇極天皇·斉明天皇の3代·2方を除き、歴史上の全ての女性天皇の神宮へのご崇敬の事実を確認できる(八束清貫氏『皇室と神宮』)。
「男系の男子」でないこれらの女性天皇方は「皇祖の祭り主」として失格だったとでも言い張るつもりだろうか。