敬宮殿下の日本赤十字社の嘱託職員ご内定のニュースに接し、多くの人々が中学1年生の時に書かれたファンタジー短編小説「看護師の愛子」を思い浮かべたはずだ。
私もプレジデントオンラインの連載「高森明勅の皇室ウォッチ」(1月30日公開)で取り上げさせて戴いた。
この作文の背景には、上皇后陛下の「看護」への深いご洞察を透かし見ることができる。
平成8年に行われた日本看護協会創立50周年記念式でのおことばだ。
「時としては、医療がそのすべての効力を失った後も患者と共にあり、患者の生きる日々の体験を、意味あらしめる助けをするほどの、重い使命を持つ仕事が看護職であり、当事者の強い自覚が求められる一方、社会における看護者の位置づけにも、それにふさわしい配慮が払われることが、切に望まれます」ここでおっしゃられている通り、医療が限界に突き当たる場合は確かにある。投薬も手術も、あらゆる治療がもはや効力を持ち得なくなってしまう場面。
私自身も父親の死に立ち会った時に、それを体験している。
しかし医療が限界に突き当たっても、「看護」はその先までも手を差し伸べることができる、と上皇后陛下はおっしゃる。
「患者と共にあり、患者の生きる日々の体験を、意味あらしめる助けをするほどの、重い使命を持つ仕事」である、と。深いご洞察と言う他ない。
しかし、いかにご聡明な上皇后陛下とはいえ、ご自身は看護職のご経験を持たれないのに、これほど深いご洞察が何故、可能になったのか。
それは皇太子妃·皇后として、法制度や政治·行政などの「効力」が届きにくい領域に、常にお心を寄せられ、少しでも手を差し伸べようと努められる日々を、積み重ねて来られたからこそではあるまいか。
上皇后陛下におかれては、皇室のお務めと看護という仕事との間に、ある種のアナロジーが成り立っておいでだったのではないだろうか。
「看護師の愛子」を書かれ、日赤を志された敬宮殿下が、この上皇后陛下のおことばを読まれていないはずがない。
これに関わって、敬宮殿下が天皇·皇后両陛下とご一緒に日赤を訪れられた際(令和5年10月2日)、「トリアージ」について職員に質問を重ねられたとの報道に接し、上っ面な綺麗事を踏み越えた、殿下のひたむきさに心を打たれた。
トリアージというのは事実上、命の選別とも言える。だから、関心が薄い人なら余り触れたくない、重いテーマだろう。その上、表層的な見方からは、「国民統合の象徴」であり、一君万民·一視同仁という理念を担うべき天皇·皇室のお立場と、鋭く対立するかのようにも受け取られかねない。それを念頭に置くと、敬宮殿下がトリアージについてご熱心に質問された事実は、軽視できない。
敬宮殿下が人命救助と真剣に向き合っておられると同時に、皇室が担うべき理念についても深く理解されていることを示す事実ではあるまいか。