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執筆者の写真高森明勅

皇太子と傍系の皇嗣は具体的にこれだけ違う!


皇太子と傍系の皇嗣は具体的にこれだけ違う!

秋篠宮殿下は現在、「皇嗣」でいらっしゃる。但し同じ皇嗣でも「直系」の皇嗣(皇太子皇太孫·)と

「傍系」の皇嗣では、明確な違いがある。


以下、簡単に列挙しよう。


①皇太子は次の天皇として即位されることが確定したお立場。これに対して、傍系の皇嗣はその時点で皇位継承順位が第1位であるお立場に過ぎない。


実際、過去に傍系の皇嗣(秩父宮)が皇太子(上皇陛下)のご誕生により、その地位が変更された実例があり、理論的·一般的に考えても、直系の男子がお生まれになれば当然、これまでの制度のままでも、その地位は変更される。


現実を見ても、秋篠宮殿下の(天皇陛下より僅か5歳お若いだけという)ご年齢からして、不測の事態でも起こらない限り、次の天皇として即位されることは想定しにくい。


②皇室典範の規定では、傍系の皇嗣について「やむを得ない特別の事由があるときは」皇籍離脱の可能性が認められているのに対し、皇太子·皇太子孫の場合は勿論そのような可能性は一切排除されている(第11条第2項)。これは極めて大きな違いだ。


③同じく皇室典範の規定では、「故障」があって他の皇族が先に摂政に就任した場合、傍系の皇嗣ならそれが解消されても、他の皇族がそのまま摂政を続けるのに対して、皇太子·皇太孫なら直ちに摂政に就く(第19条)。


これも見逃せない相違だろう(②③のような重大な相違がある為に、特例法ではその点をカバーする必要があり、以下の規定を加えている。「皇室典範に定める事項については、皇太子の例による」第5条)。


④傍系の皇嗣のお住まいは一般皇族と同じく「宮邸」。

秋篠宮邸の大規模な増改築工事が行われても、呼称は元のままだ。それに対して皇太子のお住まいは「東宮御所」。天皇のお住まいの“御所”と共通する呼び方がされている。


⑤“外出”の呼び方も、傍系皇嗣は一般皇族という同じく「お成り」。

皇太子は「行啓」。皇后·皇太子妃なども同じ。


⑥皇宮警察による護衛体制においても、皇太子なら独立の部署(平成時代における護衛第2課)が設けられるのに対して、傍系の皇嗣の場合はそのような扱いがなされない(令和の護衛第2課は秋篠宮家だけでなく他の内廷外の宮家も担当)。


⑦具体的な護衛の在り方も、現状、秋篠宮殿下が車で移動される場合、前後に警察車両が1台ずつで交通規制がない。これに対して、平成時代における皇太子(今上陛下)の場合は、前後の警察車両1台ずつに加えて、先導の白バイ2台、後ろにも側衛車で白バイ2台、交通規制あり、という形だった。


⑧戦後に始まった皇居勤労奉仕において、昭和·平成時代には私自身もそれぞれ体験しているが、光栄にも皇太子(昭和時代は上皇陛下、平成時代は天皇陛下)からもご会釈を賜る機会に恵まれた。

これは勿論、ボランティアで皇居と赤坂御用地の清掃を行う為に全国各地から集まった奉仕団のメンバーに対する過分なご配慮による非公式な行事であり、その性格に照らして国民の側からことさら期待すべき事柄でないのは勿論だ。


その点を念の為に確認した上で、事実として紹介すれば、現状、秋篠宮殿下はそのようなことはなさっていないようだ(仄聞するところ、コロナ禍で勤労奉仕の実施が見送られていたのが

再開されて以降かと思われるが、それまで4日間だった勤労奉仕が3日間に短縮されており、秋篠宮邸などがある赤坂御用地の奉仕団による清掃自体が行われなくなっている可能性もある)。


以上のように改めて整理すると、内閣の意思によって前代未聞の「立皇嗣の礼」が国事行為として行われ、その関連行事として壺切御剣(つぼきりのぎょけん)が天皇陛下から秋篠宮殿下に

預けられても、それはあくまでも秋篠宮殿下が傍系の皇嗣である事実によるものであって、秋篠宮殿下が次の天皇として即位されることが確定するもので“ない”ことは、明らかだろう。


【高森明勅公式サイト】

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