わが国の歴史の特色の1つは、男尊女卑の意識が根強い東アジアにありながら、女性天皇が多く登場した事実だろう。
しかし、奈良時代の称徳天皇より後、江戸時代の明正天皇まで女性天皇は現れていない。
そのことから、その間の1000年近くは「禁止」されていた、と短絡する乱暴な議論がある(「SPA!」7月30日·8月6日合併号)。
しかし、「継嗣令」に「女帝」の規定があったのはよく知られている。その継嗣令を含む養老律令は「形式的には明治初期まで国家体制を規定する法典であり続けた」(日本史広辞典)とされている。
その養老令の官撰注釈書である『令義解』は、注釈そのものも“法的効力”を持ったとされている。だから、少なくとも同書が施行された834年当時、女性天皇は禁止されるどころか法的に認められていたと考えなければならない。
しかも10世紀後半に成立した儀式書の『西宮記』には、「天皇即位」の際の装束として「童帝」と共に「女帝」の場合についても記述がある。これも女性天皇が“禁止”されていればあり得ない。
加えて12世紀半ば、鳥羽上皇による院政期に近衛天皇が早く崩御された後、後白河天皇が
「即位の器量」に難ありと見られて、一時は近衛天皇の姉の八条院の即位が取り沙汰されている
(『愚管抄』『今鏡』『古事談』、荒木敏夫氏『可能性としての女帝』平成11年、『日本の女性天皇』
同18年)。
女性天皇は決して禁止などされていなかった。明正天皇が即位される時も、特に長年の禁止を
解除した形跡が無い。
以上から、女性天皇が禁止されたのはやはり明治22年の皇室典範からという結論になる。
長い皇室の歴史から見ればごく最近の話だ。