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執筆者の写真高森明勅

「天皇陛下万歳」の起こりは明治22年2月11日という証言


「天皇陛下万歳」の起こりは明治22年2月11日という証言

私は昭和時代から、毎年1月2日と天皇誕生日に行われる皇居一般参賀に、加わって来た。

昭和から平成への御代替わりがあって、暫く参賀での「天皇陛下万歳」の声が少なくなっていた。


参賀者も世代の交代が進むと、万歳を三唱する習慣を持たない人達が多くなり、ひょっとするといずれ殆ど誰も唱えなくなってしまうかも知れない…などと勝手に想像していた。


ところが、ネット上で折に触れて「天皇陛下万歳」という書き込みが見られるようになる。

更に参賀でも、明らかに恐る恐るという感じで、孤立した万歳の声が聞こえ始めた。それがいつの間にか、参賀だけでなく天皇陛下が地方にお出ましになった時などでも、沿道で奉迎する人達の中から「天皇陛下万歳」という声が挙がる光景を、普通に見かけるようになった。


これは平成時代に、懸命に国民に寄り添い続けて下さった上皇、上皇后両陛下のご努力によって、国民の間に皇室への敬愛の気持ちがより高まり、それを素直に表現するようになった結果だろう(勿論、その表現の仕方は“万歳”に限らないし、限る必要もないだろう)。


ところで、この「天皇陛下万歳」が唱えられた初めは、明治22年2月11日(当時は「紀元節」、

今は「建国記念の日」)という証言がある。


東京帝国大学書記官·清水彦五郎の談話だ(和田信二編『皇室要典』大正元年刊)。


その談話の「大要」によると、大日本帝国憲法発布の当日、憲法の発布を記念して東京·青山練兵場(今の明治神宮外苑)で行われる観兵式に明治天皇がお出ましになるに当たり、二重橋外において帝国大学関係者が奉迎することとなり、その際、黙って敬礼するだけでは国民として十分に奉祝の気持ちを表現できないと考えた。


そこで事前に種々協議した結果、「万歳」を唱えることに決まった。しかし、それを具体的にどう発音するか。


「古来『ばんぜい』『まんざい』等ト発音セシ例アレドモ発声上面白カラザル点アリ。遂ニ寧(むし)ロ漢呉音(漢音と呉音)取リ交ゼ『ばんざい』トスルコソ最モ力(ちから)アリテヨカルベケレトノ外山(正一)博士ノ意見ニ従フコトニナリ」、つまり「ばんざい」と発音することに決まった。


こうして、当日は文科大学長(文学部長)の外山博士が当時の総長·渡邊洪基に代わって発声の先導を務め、学生一同がこれに唱和し、「天皇陛下、万歳」「万歳」「万々歳」と唱えたという。


同年秋の帝国大学陸上運動会には皇太子(後の大正天皇)の行啓を仰ぎ、この時は「皇太子殿下、万歳」「万歳」「万々歳」と唱えたという。


これ以降、帝国大学では、万歳は「天皇及ビ皇族ニ対シテノミ唱フルコトニ定メタリ」と。

帝国憲法の発布に際して、明治天皇がお馬車で桜田門を出て観兵式に向かわれる様子は、明治神宮外苑にある聖徳記念絵画館に掲げられている「憲法発布観兵式行幸啓」と題する絵画(奉納者=日本興業銀行、画家=片多徳郎、昭和3年完成)に描かれている。


同画は、『明治神宮 聖徳記念絵画館壁画』(明治神宮外苑刊)や打越孝明氏著·明治神宮監修『絵画と聖蹟でたどる 明治天皇のご生涯』(新人物往来社刊)に収められている。


又、この時に明治天皇が乗られた儀装馬車の実物も、明治神宮の境内にある明治神宮ミュージアムに展示されており、間近に拝観することができる。


なお、「万」は呉音でモン、漢音でバン、慣用音でマンと読み、「歳」は呉音でサイ、漢音でセイと読む(藤堂明保編『学研漢和大字典』)。よって、漢語としては「ばんぜい」と読むのが本来だろう。


『日本国語大辞典』(第16巻)を見ても、「ばんぜい」の項目には『続日本紀』『家伝』『儀式』など、古代史料の記事を出典として掲げる。


そこで引用されている『曽我物語』の記事中には、かな書きで「ばんぜいのよろこび」とあり、『日葡辞書』の「Banjei(バンゼイ)」との表記も、紹介されている。


一方、「ばんざい」については「『万歳(ばんぜい)』の新しい慣用的な読み方」と注記する。但し、用例として『和英語林集成』(再版)に「BanzaiまたはBanzei バンザイ 万歳」とあるのを

引用している。


『和英語林集成』は初版が慶応3年の刊行で、再版は改訂を加えて明治5年に刊行された。そうすると、少なくとも明治5年頃には「万歳」を“ばんざい”と読むことも既に行われていたことになる。先の清水書記官の証言と些か食い違う印象があるものの、「天皇陛下万歳(ばんざい)」の起こりについては、ほぼそのまま信じてよいのではあるまいか。



追記


○10月4日、ミス日本コンテストのファイナリスト達にレクチャー。例年以上に皆さん若い。殆どが現役の大学生という若さ。しかし、さすがにファイナリストだけあって、理解力も向学心も高い。

①データ、②証言とエピソード、③歴史という3つの切り口から、「日本とはどのような国か」について語った。質疑応答の時間には次々と手が挙がった。好反応が嬉しい。


○「女性自身」の10月8日発売号にコメントが掲載された。


○10月10日、プレジデントオンライン編集部から連絡があり、2月28日公開の拙稿「人々は雨の中、誰に言われるでもなく静かに傘を閉じた…皇室研究家が目撃した『天皇誕生日の一般参賀の風景』」が「2024年編集部セレクション」に選ばれて、10月15日火曜日17時から再掲載が決まったとのこと。特にこの記事が選ばれたのは嬉しい。

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