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執筆者の写真高森明勅

秋篠宮殿下が今年もお誕生日会見で敢えて避けられたテーマ


秋篠宮殿下が今年もお誕生日会見で敢えて避けられたテーマ

秋篠宮殿下は今年のお誕生日に際しての記者会見でも、重大なテーマに触れることを敢えて避けられたように見える。


「(悠仁親王殿下の)成年に当たって掛けられた言葉、将来皇位を継承されるお立場である悠仁さまへの期待をお聞かせください」という質問へのご回答は、次のような内容だった。


「(成年に当たって掛けられた言葉については)私が妻や娘たちに言ってきたことと同じになってしまいますけれども、成年後、実際にはもうちょっと後が多いと思いますけれども、いろいろなところから(ご公務の依頼の)声が掛かることが予想されます。そのときに、声を掛けていただいたものに関わるときは一つ一つ大事に思って丁寧に取り組んでほしいということは、成年に当たってというよりも、一定年齢になってからの話として、度々いたしました」


「(将来皇位を継承されるお立場である悠仁殿下への期待については)今、お話ししたことと恐らく重複しますけれども、一つ一つ自分が関わる仕事を大事に思って、取り組んでほしいということですね。今の段階ではそういうことでしょうか」


今のルールでは皇位継承順位が第2位とされている悠仁親王殿下に対する「期待」を問われて、秋篠宮殿下は「妻や娘たち」に望んでおられる、皇族としてご公務の一つ一つを「大事に思って丁寧に取り組んでほしい」ということと全く「重複」する内容を、答えられた。


ということは、「将来皇位を継承されるお立場」かどうかとは一義的には関わりのない、皇族ならどなたにも当てはまるご回答だったことになる。


そもそも、これまで秋篠宮殿下ご自身が、悠仁殿下について将来に皇位を継承すべき立場との認識を直接に示すご発言は、なさったことがないのではあるまいか。


拙著『愛子さま 女性天皇への道』(講談社ビーシー/講談社)で紹介したように(137ページ)、天皇陛下が今の悠仁殿下よりお若い学習院高等科2年だった昭和51年の上皇陛下の記者会見では、当時は「皇太子」でいらした上皇陛下が次のように回答されていた。


「(記者の質問の中にあった)帝王学という言葉が適切かどうかとも思いますが、たとえば、日本の文化、歴史、とくに天皇に関する歴史は学校では学べないものです。それをこちら(宮中)でやっていくことはしたい。


…『象徴学』は一つの言葉では表せないとと思います。いろんな材料を与えて、それをいかに咀嚼していくかが大事です」(拙著では「やっていくこと“に”したい」とあるが誤植であり、上記が正しい)


翌年の上皇后陛下の記者会見では、次のようなご発言もあった(天皇陛下が丁度今の悠仁殿下と同じご年齢に当たる頃)。


「浩宮(今の天皇陛下)が将来の自分の立場を自覚して、皇室の歴史を貫く仁の心(他を思いやり、慈しむ心)を身につけていってほしい」


どちらのご発言も、将来に皇位を継承すべき立場である我が子とどう向き合うべきか、という確固たるご自覚と責任感が伝わる。そこを敢えて避けられた秋篠宮殿下のご回答との違いは明白だ。


僭越ながら、今回の秋篠宮殿下のご会見は、拙著での以下の指摘(138ページ)の正しさを、改めて裏付けて下さったようにも感じる。


「秋篠宮殿下は悠仁殿下が将来の『皇位継承者』として自明視されること、それが既定の事実であるかのように扱われることに対して、違和感を覚えておられるように見えます」


「天皇陛下が、浩宮殿下と呼ばれていた中学、高校時代から学んでおられた『象徴学』が、秋篠宮家の『敎育方針』としてしっかり打ち立てられているという事実も、伝わってきません。これはおそらく、秋篠宮殿下が無責任であるとか、敎育に熱心でないということではないでしょう。そうではなく、次代の天皇に最もふさわしいのは直系の皇女でいらっしゃる敬宮殿下であると、正しく理解しておられるからではありませんか。


『皇位継承者』としての学びにおいて、天皇陛下のおそばで暮らし、その感化を受ける以上の敎育はないことを、秋篠宮殿下こそ最も深く知っておられるのではないでしょうか」


追記

12月11日、悠仁親王殿下が筑波大学に合格されたとの報道に接した。一国民としてお祝い申し上げると共に、充実した学生生活を祈り上げる。

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