こんな文章を見かけた。
《どの国、どの王朝も興亡をくり返してきた。…わが国は一度も王朝が変わったことはない。…皇室は世界最古の王朝なのだ。
なぜか。
それこそ男系によって「権威」と「権力」の分離に成功したことが挙げられる。権力を手にした人間は権威を欲しがり、常に両方を得ようとする。だが、日本の天皇は男系しか許されない。要するに時の権力者、たとえば平清盛であろうが、織田信長であろうが、徳川家康であろうが、この絶対のルールによって天皇に「なり代わる」ことができなかったのである》
(門田隆将氏『「左翼革命」と自民党崩壊』)
皇位継承資格を男系に限定しなければならない理由·根拠は何か。
それを男系論者は誰も説明できない。挙句の果てに、上記のような妄言を並べるしかなくなったのか。世界史上、君主の地位を男系の血筋で継承する王朝は、珍しくなかった。
しかし、「男系によって『権威』と『権力』の分離に成功」できなかったし、多くの男系王朝は次々に滅んだ。にも拘わらず、わが国の皇室だけは、古代以来、途絶えることなく存続してきた。それは何故、可能になったか。
上記の事実に照らして、男系継承によって説明できないことは、誰にでも分かるはずだ。
最もシンプルに説明すれば、およそ次の2点に集約されるだろう。
長い歴史において、①他民族による制圧を免れる一方で、②国民が天皇という地位を求め、その地位が皇統によって継承されることを望み続けて来たからだーと。その際、特に重要なのは、「皇統」が単なる生物学的な血統とは区別された“文化上の概念”である、という事実だ。
単なる生物学的な血統であれば、平清盛も源頼朝も足利尊氏も、皆、天皇の男系の血筋を引いている。広い意味では(=生物学的な意味では)「皇統に属する男系の男子」だ。それを根拠に皇位継承を認めるのであれば、上記の人物は皆、天皇になる資格があったと言えるはずだ。
しかし、仮に「天皇は男系しか許されない」として、男系でも臣籍にあった平清盛が天皇として即位し、その後、代々、平氏による皇位継承が続けば、たとえそれが男系による継承であっても、それは皇統の断絶→王朝交替以外の何ものでもない。
皇室の歴史においては、たとえ生物学的には男系の血筋であっても、皇籍を離れて既に“臣籍の血筋”となった以上、厳密には(=文化概念としては)「皇統に属する」とは見なされず、親の代から皇族でなければ皇位継承資格は断固として認めない、という「君臣の別」が厳格に守られて来た(拙著『愛子さま 女性天皇への道』92〜93ページ、101〜103ページ参照)。
もし、この点が僅かでも曖昧にされていたら、過去に王朝交替は避けられなかったに違いない。
先の引用でも、織田信長や徳川家康と並んで、男系の血筋で桓武天皇に繋がる平清盛の名前が、普通に挙げられていた。男系でも、既に臣籍の血筋として、信長·家康と当たり前のように同列に扱われている。
これは書き手の無知によるとしても、本人も自覚しないまま、多くの人々が共有している一般的·常識的な受け止め方をよく示している。
皇位の正統性を支える皇統とは、あくまで”皇籍にある方々”によって受け継がれる文化上の概念であって、単なる生物学的な概念ではない。その区別は、くれぐれも銘記される必要がある。従って、旧宮家系という“国民の血筋”から将来の天皇が現れかねない養子縁組プランは、憲法違反の疑い以前に、皇統の断絶→王朝交替に繋がる危険性を孕むので、当然ながら認められない。
そのことは、頑固な男系論者の著書からも、(書き手の意図とは別に)改めて知ることができる。
追記
①「女性セブン」12月19日発売号にコメントが掲載された。
②12月21日、上皇陛下のお誕生日を控えて主に平成生まれの若者を対象とした講演会。オンラインを含めて約400人が参加してくれた。主催者はトータルで300人ほどの参加を想定していたようだから、成功だろう。作詞家の森由里子先生もご参加下さった。
③「女性自身」12月24日発売号にコメントが掲載。
④12月26日、プレジデントオンライン「高森明勅の皇室ウォッチ」公開。Yahooニュースでも配信。
⑤プレジデントオンライン「下半期BEST」に私の7月と9月の記事が選ばれた。どちらも12月29日あたりから再掲載とのこと。同じくYahooでも。
⑥拙著『愛子さま 女性天皇への道』の3箇所の抜粋記事がそれぞれ12月29日、30日、31日からプレジデントオンラインで公開される予定。Yahooでも。