
これは知らなかった。
平成30年12月23日、平成で最後の「天皇誕生日」。
宮殿東庭には平成時代で最多の8万2850人の参賀者が詰めかけた。
その大勢の人々の中に、秋篠宮家のご長男、悠仁親王殿下が交じっておられた。
しかし、恐らくそのことに気付いた人は誰もいなかったのではないか。
私も、秋篠宮殿下と最も近い関係にあるジャーナリストとされている江森敬治氏から、ご著書『悠仁さま』(講談社ビーシー/講談社)を送って戴くまで、その事実を知らなかった。
同書から該当箇所を紹介する。
「当時、悠仁さまは12歳で、お茶の水女子大学附属小学校6年生だった。翌春、お茶の水女子大学附属中学校に進んでいる。12歳の少年の目に長和殿のベランダに立つ、祖父母や両親、姉たち、そして、叔父や叔母(※正しくは「伯父や伯母」)の姿はどのように映ったのだろうか。
参賀者にもまれながら、人々の熱狂や上皇ご夫妻に寄せる熱い思いをどう理解したのだろう。
天皇と国民との距離の近さや皇室に対する大衆の尊敬、揺るがない信頼などを、その少年は肌で感じ取ったはずである。悠仁さまの強い希望で実現した皇居での一般参賀訪問(※この場合に「訪問」という表現は果たして適切か?)だが、彼が両親たちと一緒に長和殿のベランダに立つとき、この体験と記憶は必ず、役に立つはずである」
著者は「こうした機会を迷わずに許すところが秋篠宮さまの真骨頂でもある」と書き加えておられる。但し、悠仁殿下の一般参賀へのご参加は(今のルールでは皇位継承資格を持たない)姉宮に倣われたことだろうから、同書が「生きた帝王教育」とまで評したのは、些かフライングだった。
それにしても、これほど早く参賀を体験されるとは予想していなかった。
▼追記
①プレジデントオンライン「高森明勅の皇室ウォッチ」3月2本目の記事が3月28日に公開された。
②「女性自身」4月1日発売号にコメント掲載。