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執筆者の写真高森明勅

「文選」の名前は何故外された?

皇太子殿下のご即位と共に施行される新元号「令和」。

佳(よ)い元号だ。

但し不審な点が1つ。

政府の発表で、出典に『万葉集』“だけ”が挙げられた事。

今回、出典として紹介された 「梅花(ばいか)の歌三十二首」の

「序」の該当箇所が、『文選(もんぜん)』

(張衡〔平子〕の「帰田賦〔きでんのふ〕」)

の句を踏まえている事実は、『万葉集』に興味を持つ人なら

よく知っているはず。

実際に対比しても以下の通り。

「初春令月、気淑風和」(万葉集)。

「仲春令月、時和気清」(文選)。

8文字のうち5文字迄も一致している。

『文選』の方にも勿論、「令」も「和」もある。

ならば、出典としては両書を

挙げるのが当たり前ではないか。

「平成」の出典に『史記』と『書経(しょきょう)』 の両書が挙げられたように。

更に、過去の元号には出典が3種類の例もあった。

だから“普通に”、文献の成立年代の順に

『文選』『万葉集』と紹介すれば良かった。

それで「令和」の値打ちが下がる訳でもあるまい。

「平成」をはじめ従来の元号は、 専ら漢籍を出典として来たのだから。

そもそも、『文選』はこれまで出典として使用頻度が高い。

『書経』・『易経(えききょう)』・『後漢書(ごかんじょ)』 に続く4番目の多さで、これまで22回ほど使われているようだ。

だから、『文選』も“普通に”紹介すれば、 出典を新しく国書にも広げつつ、一方では古くからの 伝統も大切に「保守」する姿勢を示す事が出来たはずだ。

にも拘らず、ことさら漢籍の名前を隠そうとする態度は、 戴けない。

何だか自信の無さの裏返しのようで、

わが国が誇りとすべき“大らかさ”(文化的寛容性)とは 無縁だろう(同序作者〔大伴旅人か〕の漢文の素養の広さを見習うべし)。

ちなみに契沖の『万葉代匠記』には、

同序該当箇所が踏まえた漢籍について

「張衡帰田賦に云はく…」

「蘭亭記に云はく…」

「杜審言詩に云はく…」と3種類挙げているが

(冨山房百科文庫版3巻49ページ)、

「令」「和」が共に出てくるのは帰田賦

(『文選』所収)だけ。

念の為。

本

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