終戦後、若き皇太子だった天皇陛下の常時御教育参与として、 そのご教育の責任者となったのが、小泉信三氏だった。 同氏の講義の下書き(昭和25年4月24日)は甚だ注目すべき内容。 よって、ここに紹介する。
「近世の歴史を顧(かえりみ)るに、戦争があつて勝敗が決すると、 多くの場合、敗戦国に於(おい)ては民心が王室をはなれ、 或(あるい)は怨(うら)み、君主制がそこに終りを告げるのが 通則であります。 …諸国の実例は皆(み)なこの如(ごと)くであるにも拘わらず、 ひとり日本は例外をなし、悲しむべき敗戦にも拘らず、民心は皇室を はなれぬのみか、或(ある)意味に於ては皇室と人民は却(かえっ)て 相近づき相親しむに至つた…。 責任論からいへば、陛下は大元帥であられますから、 開戦に対して陛下に御責任がないとは申されぬ。 それは陛下御自身が何人よりも強くお感じになつてゐると思ひます。 それにも拘らず、民心が皇室をはなれず、況(いわん)や之(これ) に背(そむ)くといふ如きことの思ひも及ばざるは何故であるか。 一には長い歴史でありますがその大半は陛下の御君徳によるもので あります。 若(も)しも日本の敗戦に際して日本の君主制といふものがそれと共に 崩れるといふが如きことがありましたならば、日本は収拾すべからざる 混乱と動揺に陥つたであらうと思ひます。 幸ひにもその事なくして、宛(あたか)もアメリカ人が国旗を見て 粛然として容(かたち)を正すやうに日本人民が皇室を仰いで
襟(えり)を正し茲(ここ)に心の喜びと和やかさとの泉源を感じて、 国民的統合を全うすることを得たのは、日本の為(た)め大なる幸福 としなければなりませぬ。 私どもが天皇制の護持といふことをいふのは皇室の御為めに申す のではなくて、日本といふ国の為めに申すのであります。 さらにその日本の天皇制が陛下の君徳の厚きによつて守護せられた のであります」
取り分け、 「私どもが天皇制の護持といふことをいふのは皇室の御為めに 申すのではなくて…」とあるのは、慎重に理解すべき重要な箇所だ。