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執筆者の写真高森明勅

明治皇室典範の「二者択一」

明治の皇室典範を制定する際に、

2つの立場の対立があった。


1つは、側室制度を前提に、

非嫡出(庶出)にも皇位の継承資格を認めて、

「男系の男子」に限定する立場。


もう1つは、側室制度を排除し、

非嫡出には皇位の継承資格を認めず、

女性天皇・女系天皇も認める立場。


しかし、当時の皇太子、嘉仁(よしひと)親王

(後の大正天皇)は側室(柳原〔やなぎわら〕愛子

〔なるこ〕=前光〔さきみつ〕の妹)から生まれ

られていた(つまり非嫡出)。


従って、後者を採用する余地はなかった。

だが前者も、あくまで側室制度を前提に、

非嫡出にも皇位の継承資格を認める事によって、

かろうじて「男系の男子」という前例の無い

窮屈な“縛り”が可能になった。


ところが現在の皇室典範ではどうか。

側室制度を排除し、非嫡出には皇位の継承資格を認めない。


にも拘らず「男系の男子」に限定する。

前者の前提条件が欠けていながら、

後者の選択幅も失う。

まさに、前代未聞の困難を極める

継承条件となっている。

これでは行き詰まって当たり前。


改めて、明治典範の「二者択一」に

立ち戻って検討すれば、

結論は自ずと明らかだろう。


政府も既にその事には気付いているようだ。



明治天皇

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