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執筆者の写真高森明勅

真の「皇室の伝統」とは何か、それを守り継承する方途は?


真の「皇室の伝統」とは何か、それを守り継承する方途は?

女性天皇、女系天皇が即位したら「皇室の伝統」が崩壊するという意見がある。

そうした考え方を真正面から否定されたのは、他ならぬ上皇陛下ご自身だった。


小泉純一郎内閣の時に設けられた「皇室典範に関する有識者会議」の報告書では、「皇位の安定的な継承を維持するためには、女性天皇、女系天皇への途を開くことが不可欠」との結論を示した。その報告書が提出された後の上皇陛下のお誕生日に際しての記者会見(平成17年12月19日)で、注目すべきやり取りがあった。 


女性天皇、女系天皇の容認は「皇室の伝統の一大転換」と極め付けようとする記者の質問に対して、上皇陛下はほとんど真正面から否定するご発言をなさっていた(拙著『愛子さま 女性天皇への道』❲講談社ビーシー/講談社❳191ページ参照)。


《まずはっきりしているのは、「『女性天皇、女系天皇』容認の方針」がつらぬかれたとしても、そんなことで「皇室の伝統の一大転換」なんかになったりしない、というお考えです。


上皇陛下にとって男系男子限定というルールはそもそも「皇室の伝統」ではなく、「天皇及び皇族は、国民と苦楽を共にすることに努め、国民の幸せを願いつつ務めを果たしていく」ことこそが「皇室の伝統」である、とおっしゃっているのです。かなり率直なご発言ではないでしょうか。

そもそも、皇位はなぜ世襲でなければならないのでしょうか。このおことばに導かれて考えると、「国民と苦楽を共にする」という高貴な精神が皇統という血脈にそって受け継がれるべきだから、にほかならないでしょう。


男性天皇であれ女性天皇であれ、男系天皇であれ女系天皇であれ、この精神が受け継がれるならば「皇室の伝統」は守られるし、逆にこの精神が受け継がれないならば「皇室の伝統」は途絶えてしまう、というのが、このおことばが示す本質的な考え方でしょう》(拙著192ページ)


《敬宮殿下は「日本赤十字社御就職に対しての文書回答」の中で、ご自身の“皇室像”を提示しておられるます。


「私は、天皇皇后両陛下や上皇上皇后両陛下を始め、皇室の皆様が、国民に寄り添われながら御公務に取り組んでいらっしゃるお姿をこれまでおそばで拝見しながら、皇室の役目の基本は『国民と苦楽を共にしながら務めを果たす』ことであり、それはすなわち『困難な道を歩まれている方々に心を寄せる』ことでもあると認識するに至りました」


ここで敬宮殿下が言及しておられる皇室の役目の基本が「国民と苦楽を共にしながら務めを果たす」というのは、まさに上皇陛下が先の記者会見でお述べになった皇室の「望ましい」あり方であり、「皇室の伝統」そのものでしょう。


このことから敬宮殿下は、女性天皇、女系天皇も直接に話題となった、先の記者会見でのやり取りをご自身で咀嚼されていることが分かります。そのうえで、その「皇室の伝統」を自ら積極的に背負おうとされていることも伝わります。そうであれば、もしも敬宮殿下が女性天皇として即位されても、皇室ご自身のお考えに照らして「皇室の伝統」をいささかも損なうものでないことは明らかでしょう》(同193〜194ページ)


《天皇陛下にすでにお子さまがいらっしゃるのに「女性だから」除外して、民間人の子孫でも「男性だから」天皇にするというプランは、皇室の尊厳を重んじる立場とは考え方が逆立ちしていませんか。


そもそも旧宮家養子縁組プランなどで、「国民と苦楽を共にする」という高貴な精神が、果たして正しく受け継がれるのでしょうか。普通に考えて民間で生まれ育った人物に、そのような精神を期待するのは至難でしょう。それで、真の「皇室の伝統」は守られるのでしょうか》(同232ページ)


追記

①拙著を献本させて戴いた所功先生、君塚直隆先生などから過分なご褒詞を賜り、又ご高著もわざわざご恵贈戴き、恐縮至極。

②「週刊女性」12月17日発売号に拙著の紹介記事が掲載されるとの連絡が届いた。有難い。

③拙著のチェックミスを更に見付けた。238ページ本文8行目〜9行目。誤=当時、学習院大学の学長だった正=学習院大学の元学長だったお詫びして訂正します。

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